原発カバーは組めるか、実物で確かめた


1号機原子炉建屋カバー工事編(第3回)

「これで、放射能の影響を少しでも減らせればいいが…」。

福島県いわき市に住むある被災者は、現実離れしたクレーンの大きさに驚きながら、目前の巨大な骨組みを飽くことなく見つめていた。

小名浜港の埠頭の一画に突如出現したこの構造物こそ、清水建設生産技術本部の印藤正裕本部長らが施工計画を練り上げた建屋カバーにほかならない。


小名浜港での仮組み。写真は梁を吊り込む様子(写真:清水建設)

この被災者が目にしたのは、福島第一原発での「実戦」に先立って、2011年6月13日~7月26日に行われた「仮組み」の様子だ。

通常、鉄骨造の建物の仮組みでは、接合部などの形状や寸法を確認する程度だが、小名浜港では本番さながらの工事が進められていた。

 
一刻も早く現地での作業に取り掛からなければならない状況で、仮組みに1カ月以上も時間を掛けたのはなぜか。

印藤は、仮組みの重要性について次のように説明する。

「日本の技術の信用が掛かった工事だ。成功率は100%でなければならない。絵に描いた餅を『本当の餅』にするために必要不可欠な工程だった」。

東京電力や清水建設、設備を担った日立GEニュークリア・エナジー(日立製作所と米ゼネラル・エレクトリックの合弁会社。原子力発電所の建設や保守サービスを手掛ける)、鉄骨製作会社などが一堂に会して、本番で起こりそうな失敗をつぶし、改善を施していった。

実際に組み立てて改善点を洗い出す



小名浜港での仮組み。写真は屋根パネルを設置する様子(写真:清水建設)

特に、柱や梁に用いた鉄骨の精度は、本番の前に一度組み立てて確かめておく必要があった。

納期を急いだので、東京鉄骨橋梁や片山ストラテックといった複数の鉄骨製作会社に分離して発注し、全国8カ所で急いで製作したからだ。

「(2011年の)4月中に話があり、5月の連休で設計、6月初めには小名浜港に搬入という超突貫のスケジュールだった」(ある鉄骨製作会社の技術者)。

工事の成否を握る嵌合(かんごう)接合部のすき間はわずか数ミリメートルしかない仕様としたので、別々の鉄骨製作会社が造った柱と梁が、うまくかみ合わない恐れがある。

仮組みでは実際に、スムーズに挿入できない仕口(柱と梁の接合部)が見つかった。

そこで、その場で研磨加工して形状を調整した。

壁パネルを取り付けるフックには赤い印をつけて、組み立ての際の視認性を良くするなどの改善を施している。

「現場で起きそうな失敗は全て小名浜港で経験し、改善を施した。

そのおかげで、本番ではあらゆる間違いを回避できた」。

印藤はこう振り返る。

陸上輸送か、海上輸送か

仮組みした部材は解体した後、60m×20mの大きさの台船を用いて、福島第一原発の港湾内にある「物揚げ場」まで、約65kmの距離を海上輸送する手はずだ。


建屋カバーの屋根パネルを小名浜港から台船で海上輸送する様子(写真:東京電力ホールディングス)

3層構造の建屋カバーを一気に組むと、最初に据え付ける1層目の部材を運ぶのは、3層目と2層目を解体してからになってしまう。

仮組みはプロジェクト成功のカギを握るとはいえ、必要以上に時間を掛けて工期全体に影響を与えるわけにはいかない。

そこで、1層目はすぐに解体して発電所に送り、その後に2層目と3層目をそれぞれ組み立てる方法を採って時間を短縮している。

東京電力原子力設備管理部原子力耐震技術センターの木ノ下英雄主任によると、当初は海上輸送と陸上輸送を同時並行で検討していたという。

そして、仮組みは、発電所の構内で実施する予定だった。

事故直後の11年4月の段階では、小名浜港内の敷地を借りられるか分からなかったからだ。

小名浜港も例に漏れず、東日本大震災の津波で浸水した。

福島県いわき市がまとめた「いわき市・東日本大震災の証言と記録」によると、南東方向からの津波は防波堤で勢いを弱められたものの、港の埠頭を越えて奥の工場地帯の一部も飲み込んだという。

ちなみに、海上輸送ができない可能性があったことは、カバーの仕様に痕跡として残されている。

梁せい(梁の高さ)の「2600mm」は、陸上輸送が可能な目一杯の高さに由来する。

荒れた発電所の道路を整備

小名浜港で仮組みが進められている間、福島第一原発の構内では国内最大級の750t吊りクローラークレーンの組み立てを含む準備工事が始まっていた。

津波や水素爆発の影響で散らばったがれきを撤去したり、資材が届く物揚げ場やクレーンの走行路を整備したりと、どれも厄介な作業ばかりだ。



1号機原子炉建屋の北側の「旧事務本館」の様子。がれきが散乱している。
1号機は写真の右側にある。2011527日撮影(写真:東京電力ホールディングス)

750t吊りクローラークレーンの仕様はラッフィングクレーン形式。

コベルコクレーン(現コベルコ建機)製の同一機種を2台、調達した。

建屋の北側に配置する1台はカバーの組み立て用、タービン建屋の北東に配置するもう1台は部材の中継用だ。

物揚げ場に搬入された部材は、ぎりぎりまで大型ユニット化したもの。

発電所内の道路が狭いので、地上を運搬できない。

そこで、柱や梁などの部材を建屋側に中継するクレーンが必要になるというわけだ。

中継用クレーンには、緊急時のバックアップとしての意味合いもある。

万一、カバーの組み立て時にトラブルが発生した場合は、中継用のクレーンが駆けつける手はずだ。

国内最大級の大きさを誇るクレーンを走行させるには、地盤が沈下しないように、1m2当たり30tの地耐力(地盤が耐えられる荷重の大きさ)を必要とする。

そのため走行路には、舗装面から1mほどの厚さに砕石を敷いた上で、厚さ40mmの鉄板を複数枚重ねた。

また、クレーンの走行路の地下には埋設物が多く、重さに耐えられない恐れがあった。

そこで、砕石の中にH形鋼を埋めて補強も施している。

がれきを撤去し、砕石や鉄板を敷いたことで、周辺の放射線量が大幅に下がって作業をしやすい環境になった。

東京電力が定期的に公表している「サーベイマップ」によると、事故直後の11年3月には高いところで毎時数十ミリシーベルトほどあった放射線量が、整備後の同年8月には1ミリシーベルト前後に低下している。


クレーンの配置と整備した走行路。東京電力ホールディングスの資料をもとに日経コンストラクションが作成

飛び出た鉄骨などを特殊機械で除去

敷地の整備とともに欠かせないのが、爆発の影響で原子炉建屋から突き出たり、ぶら下がったりしている部材の撤去だ。

カバーと干渉する位置を、三次元レーザースキャナーで取得した三次元点群データをもとに余さず把握。

建屋の各面に数十箇所ずつある干渉部分に番号を付けて、順番に取り除いていった。

このときに活躍したのが、解体用に開発した油圧式の大型カッターだ。

クレーンで原子炉建屋の上部に吊り下げ、カメラの映像を頼りに遠隔操作で慎重に挟み切っていった。

この機械は、切った部材が落下しないようにグリッパー(切断した部材をつかむ部分)も備えているのが特徴だ。

撤去作業を後回しにした箇所もある。

1号機原子炉建屋に隣接する主排気筒下部の配管付近では毎時10シーベルトという極めて高い線量が計測された。

この配管が原子炉建屋の南側を通っていたので、建屋南面の破損部材の撤去を延期。

1層目の梁を組んでから、その上に防護台を取り付け、配管を傷つけないようにしてからカットした。


建屋カバーに覆われた1号機原子炉建屋を南側から見下ろすイメージ図。
左下が主排気筒(資料:東京電力ホールディングス)

準備工事で大きな事故などはなかったが、物揚げ場でクレーンを組み立てていた作業員がマスクを外して喫煙をするというトラブルがあった。

検査の結果、外部被曝量は0.13ミリシーベルト、内部被曝量は0.24ミリシーベルト。

大事には至らなかったが、「ちょっと一服」が命取りになりかねない現場であることを工事関係者に改めて認識させた。